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*きままなひとりごと*

ゆるりとすきなことを呟いています。

町田慎吾という人を。

町田さんを応援してもうすぐ10年です。
あの人がジャニーズ事務所に在籍していたのは20年、わたしはそれの半分も応援できなかった。
もちろん、短い期間であろうがわたしなりに全力で応援してきたので後悔することは一つもないのだけれど。

この人のことはフレジュ時代から『知ってはいた』というレベルで、町田さんのファンの諸先輩方のようにKYKも行ったことがなければJr.コンも行ったことがない。
中学~高校時代。雑誌でも特にチェックすることはなかったけれど、アイオンだったり先輩のバックだったりで踊る彼を見たことはあるし、8Jも裸少も出ているのは知ってはいた。
けれどたくさんいるJr.の中の一人であって、MAという名前がついてからも、『あのあたりに名前付いたんだー』位の認識で、特に興味を持っていなかった。
振り返ってみれば色々なハマるチャンスはあったのかもしれないけれど2006年辺りまでは薄ぼんやりと認識をしていたJr.の中の一人、だった。
あ、でもヒッパレはずっと見ていたから踊れる子たち、の認識はその当時にはすでにあったように思う。

それが突然『町田慎吾』という名前を急に意識し始めたのはSHOCKだった。
元々KinKi Kidsが好きだったからお茶の間ではあったけれど情報を追ってはいて、SHOCKという舞台を光一さんがやっていることは知っていた。
それにMAやKAT-TUNやA.B.Cが出ていることも知っていた。
わたしがずっとジャニを好きなのは家族も知っていて、当時同居していた叔母もその影響で光一さんに興味を持っていて。
たまたま、生協でチケットをとった叔母がSHCOKを見に行ったのが2006年。
帰ってきてそれはそれは楽しそうに話してくれたSHOCKの話は、とても興味深くて。
2005年のSHOCKのDVDが発売されたこともあって購入して見たら、こんな世界があるんだ!と思った。
大学の時に演劇に興味を持ってキャラメルボックスの舞台に通っていた時代があって。
四季やミュージカル舞台も見たけれど、ジャニーズの舞台はそれまで見たことがなかったわたしにはとてもとても新鮮だった。
当然ながら光一さんが主役で光一さんを見る為に買ったDVDだったけれど、ふと気付くと、それ以上に目が離せない人がいた。
それが町田慎吾だった。

正直言って、演技が突出して上手い訳でもなく、ダンスが見栄えするほど美しい均整のとれた身体であるわけでもなく、歌が上手い訳でもない。
でも何故かとても目を引いて目が離せなくなって、これが町田慎吾という人なのか、と『その他大勢のJr.』から『名前と顔の分かるJr.』に変わった。
そこからは彼の出ている作品を調べて買ったり、KinKiのFCに入ってSHOCKの申し込みをしたり、と急にわたしは活動的になった。
それまではジャニーズはTVや雑誌の中の世界でしかなったのに、『生で、近くで。この人のことを見たい』という欲求が急に膨れ上がった。
今振り返っても何故DVDで突然に彼のことが気になったのかはわからないけれど。
あの世界の中で生きる『マチダ』はとても魅力的だったのだと思う。

2007年に初めて見に行ったSHOCKは2階の後ろの方で端っこの席だった。
町田さんを認識はしていたけれど、生で光一さんが見れるという興奮の方が大きかった開演前。
開演後にはすっかり町田慎吾の虜になっていた。
光一さんが『担当』だと思ったことはなかったので、担降りというわけじゃないのだけれど、いわゆるそれは担降りの瞬間だったように思う。
当然光一さんも、当時ライバル役だった生田くんも見た。
けれど、わたしの目にはずっと、楽しそうに悲しそうに全力で演じている町田慎吾が映っていた。
とても綺麗に踊る人なんだ、と思ったのは『夜の海』だった。
ストーリーとしてもクライマックスでありただでさえ泣けるシーンだったけれど、想像以上に泣いてしまったのは多分彼のダンスのせいだ。
綺麗で儚くて美しくて。
この人のことがとても好きだと感じた瞬間だった。

そこからはこの町田慎吾という人を応援しようと決めた。
本格的に雑誌を過去の物から買ったり写真を集めたりDVDも徐々に買い揃えた。
舞台の情報を仕入れたり、HPで過去のコンレポを読ませて頂いたり、KinKiのバックにはこの人は大抵つくのだと勉強してコンサートの申し込みをしたり……
日程的に難しかったものやチケットが取れなかったものもあったけれど、ほぼ、ここからの彼の活動は見てきたと思う。
その頃には仕事が現場から本部に変わっていて死ぬほど忙しい時期もあったけれど土日の休みを駆使して(そして社会人・実家暮らしの財力を駆使してw)遠征もし始めていたし、多ステする楽しさとかメモを取ってちゃんと記録と記憶に残す事とかを学んで。使うツールmixiからtwitterに変わったりもした。

そしてあっという間に2014年の冬になり『眠れない羊』の千穐楽にやってきたやらっちの姿と、最後に見た町田さんの言葉少なな感じとを少しの違和感として覚えながらも、また来年どこかの現場で、と年を終えた。
それがもう1年も前のことになるとは、本当に時の流れは速いと思うし、特に今年は激動の(わたしにとってもわたしの好きな人たちにとっても)だったのだと思う。
違和感は2月末の町田さんの日記で決定打となり、3月には名前がなくなりTwitterのアカウントができ……わたしは衝撃を受けた。
当然辞めていくJr.は多く見てきた。
デビューしたって辞める人は辞めるのだ、Jr.なんて余計に多いだろう。
それはわかっていた。
町田さんはいつからか、SHOCKやコンサートに出なくなり外部の舞台しか出なくなっていたから、実はわたしはその『いつか』はすぐに来ると思っていた。
もう『ジャニーズの町田慎吾』は見ることはないと思って覚悟はしていた。
ただ、あんなに演技が好きだと言っていた彼が事務所は辞めてもその世界を辞めることはないとそう信じていたのだ。
でも彼はそうじゃなかった。
違和感のあったあの日には「もうこれが最後だ」と決めていたのだ。
彼が昨日――12月6日に更新してくれたつぶやきにはそう、書かれていた。
あの時に感じていたのはそれだったのか、とモヤモヤが晴れたと同時にそんな気持ちであの舞台に立っていたのかと思うと急に切なくなり、そして何故か悔しくもあった。
彼が何を思って辞める決断をしたのかはわからないけれど、もっと応援していたら未来は変わっていたのだろうかと思ったのかもしれない。
自分一人に何かできることなど何もないと思いながらも、そんな風に思った。

昨日の彼のつぶやきは、何故だか急に彼のことを深く考えさせられた。
この10年、どんなふうに私は彼を応援してこれたんだろうと振り返ってこのブログを書き始めてみた。
彼のファンの一人として、少しは支えになれていたんだろうかと、答えも出ない事を考えたりした。
何故彼が辞めなければならなかったか、とか。
でもよく分からなかった。
それでも、色々な紆余曲折があり彼はまた舞台に立つことを決めてくれた。
その決意はきっととても勇気のいることで、覚悟がいるものだったと思う。
一度辞めたステージにまた戻ってくることで、色々な声が聞こえてくるかもしれない。
それでも、彼はあの世界に立つことを望んだし、今までと同じ…いやそれ以上にファンへの言葉を向けてくれるようになった。
彼が決めたことならば寂しいけれど仕方ない事だと思っていた、でも本当は辞めてなんて欲しくなかった。
だから、その言葉はとても嬉しくて、「AZUMI」でまた『俳優町田慎吾』を見た時にとてもとても感慨深かった。
またこの人の背中を応援できることが嬉しかった。
彼がいつどんな決断をしてこの2014年の冬から2015年を過ごしてきたのか、それは彼しかわからないこと。
でも私が10年近く見てきた町田慎吾は、とても実直で真面目でふわふわしてて憑依系の芝居やダンスをする人で、とても、暖かな人だ。
きっとそれはどんな場所にいても変わらないから、わたしは今までと何も変わらず応援すればいい。
今の彼が進む道がどうか少しでも進みやすい道であれば良いと、幸せな発見がある道であればいいと願うだけだ。

気付けば、わたしにとって、今は『町田慎吾』という人は、もう担当とかそういう言葉では言い表せない人になっていた。
だからわたしのいわゆるジャニーズでいう『担当』はもう彼ではない。
だからと言って彼への愛情というか熱意や恋心などがすべて消えてしまったわけではない。
そういうことよりもこの人はわたしのライバルであり、同期であり、憧れの人であり、家族みたいな人になってしまった。
多分これからもずっと、出来る限り応援をし続けると思う。
長く長く応援してきた人にとってはわたしが応援した時間など短い時間だったかもしれないけれど彼のジャニーズ人生の一部を知って、そして今は新たな道を歩む人生を知っていけることが、とても幸せだ。