*きままなひとりごと*

ゆるりとすきなことを呟いています。

激動の一年

2015年はかなりあっという間でしたね。
まああっという間ということは、充実してたということで良いのかなとは思いますが。

今年はまずは仕事の勤務地が変わったことですかね。
自分の仕事に関してはあまり多く語れないのですが、とりあえず自分と同じ職種の人は友達・知り合いの中にはいません。
表向きは羨ましいとか楽しそうとか言われますが、正直しんどい職種ではあります。
やりがいはありますが。
そんな仕事を続けて早●年。
まさかの勤務地変更(そして一応会社も厳密にいうと変わった)で東京から遠く離れることに。
仕事の内容はほぼ同じだし、知っている人もいるし別に仕事面では大きく問題はないのだけど、飲み友達を早く作らないと一人遊びがどんどん楽しくなりすぎるから危険です。(そこか)
毎日のように海外ドラマ見てお酒飲んで寝るってそれはそれで楽しいけど問題なのでは…という気がしなくもない。
まあとりあえず部屋が広めな所なので、掃除が大変だけどのんびりまったり過ごしてます。
あ、仕事もちゃんとしてますよ(笑)

で、一番激動だなっていうか衝撃だなっていうのは、やっぱり自担が辞めたことですかね…!
もうさんざん呟いてるしブログにも書いたんだけど。
町田さんが辞めたことはそこまで衝撃じゃなくて、どっちかっていうと舞台に立たないって発言の方が腹が立ったというか憤りを感じた。
散々外部に出てる間に言ってた「ついてきてください」とか「皆さんに恩返しができるように」みたいな発言はどこいったんじゃ!と泣きながら怒りました。
その退く理由はわかると言えばわかるけど、時々のあの人の優しさとか気を使いすぎるところはいらっとします(笑)
結局戻ってきたし自担じゃなくても彼が出たら見に行くんだけどね、舞台。
好きなんだけどね、結局。

問題はまあ池田くんですよねー。
これもまあこのブログの最初の記事で書いたのでいいかなとは思うんですけど。
2012~2013⇒池田くんがちょっと気になる(というかこんな格好良かったんだなーと実感)
2014⇒PZ/歌舞伎で完全にハマる。無理ってなる。夏のPZで完全に落ちる。
2015⇒5月にメインが池田くんになる。好きすぎる。秋の雑誌幸せ絶好調からのWEBから消えてどん底へ。
っていう怒涛の2年くらいだったので、いまだに実感がないというか。
嵐見に行って彼がいないの見てるくせに、まだ来年の歌舞伎にいるんじゃないかとか思っちゃうんだよね。
未練がましいと言われそうだけど、そんなそぶりも噂もなかったから安心してたんだよなー…
まだまだ見たかったんだよねーーーいろんな姿。
そういう後悔というか、もっと見たかったという欲求もありつつ、彼がどこかで幸せに暮らしてくれていたら良いという気持ちもあります。
彼の語っていたやりたいこと、というのは嘘ではなかったと思うから、それがいつか私たちにも分かる形で叶うと嬉しいななんて。
彼が笑っていたら幸せだなあと重たいファンは思ったりします。

結局のところ池田くんのことを忘れられないしいまだに好きすぎて、周りからも「なんでそんなに好きなの?」とあきれられるくらい(笑)
なんですかねーー。
町田さんとか涼太くんは自分に似ているところがあって親近感を持って好きになった感じもあるけれど、池田くんは全然未知の人でなんで好きなのかわかんないっていう人なので。
だから余計に気になって好きなのかもしれないなあとふと思ったりもします。
これからもいろんな子に対して沸きながらも、池たん好きだよ!と言い続けると思います。

来年もそんな感じで遠方地から、のんびりと自分のペースで楽しく観劇したりコンサート行ったりしてますので。
どこかで見かけた際には宜しくお願いします。
本年もいろいろとありがとうございました。
激動だけれどいろんなことを考えた一年でした。

皆様、良いお年を。

空想組曲「小さなお茶会。」感想というか考察

12月5日から始まったこの舞台、昨日13日に無事千秋楽を迎えた。
ネタバレすると面白くないなと思ったので、普段はガンガンネタばらしをメモアカでやっているのだけれど、これはせずに今日まで黙っていた。
わたしは初日と次の日の2回を見させていただいたけれど、とても興味深い考察したくなるお話だったので色々と考えてみたことを呟いたのだけど、せっかくなのでこっちにもそれをまとめておく。
多少加筆修正はしているものの、呟きなのでまとめるといっても、内容はまとまってない散文なので、あらかじめご了承いただければ。

そもそも昨年の「眠れない羊」も結末にぞくりとした。
じわりじわりと珈琲にミルクが混ざっていくかのように、観劇をした後でゆっくりと人の隠された怖さや弱さや苦しさがわかってくるような作品だった。
だから今年の「小さなお茶会。」に町田さんが出るとなった時にこれはまた素敵な作品を見れそうだぞ、と思っていた。
結果的には去年の「眠れない羊」が事務所での最後の仕事になった町田さんが、また同じ時期にほさかさんの舞台に出演するというのが、とても嬉しかったのもある。
(そしてほさかさんと町田さんは同じ年、ということはわたしも同じ年なので勝手に同級生のような気持ちで、応援せねば、と思っている。)

遠征のため、初日にしか日程的に見れなかったのだけれど、結果としては初日に見れて良かったと思う。
ネタバレや人の感想に左右されずに見ることができたのがとても良かった。
おかげでぐるぐると考え過ぎて寝不足で次の日に再びシブゲキに行くことになったけれど。


初日が終わった後、町田さんを好きな人たちのツイートでは「クズ男最高!」という言葉が飛び交った(笑)
これが最高に面白かった(笑)
みんなこういう町田慎吾好きなんだなと思った。
あの事務所にいたら中々見れないかもしれない、女性を髪を掴んで突き飛ばしたり水をかけたりなDV男の役を演じる町田慎吾はよく知っている彼のようでいて、彼ではなかった。
町田さん演じるあっくんことあきら、は女に暴力振るうし精神崩壊してるから彼女に浮気現場見せつけて痛めつけるっていう最低なクズ男なんだけれど。
目が死んでたり、いっちゃってんなーっていう狂気みたいなものが、チャラ男から漏れた瞬間に、ものすごくはっとさせられた。
当然、見た目はチャラいけど(失礼)優しい町田さんが演じることで、何かその裏にあるのではないかと思えるような気もした。
実は何か過去があったのではないかと思ってしまう。
町田さんの演技は憑依系で役を生きてるんだなと思える瞬間が多々ある。
決してスバ抜けて上手い訳ではないし発生や声のトーン等、きっと100人が見て100人が良い役者だとは言わないと思う。
それでも彼が演じると役の向こう側に何かあるように感じる。
そこが彼の芝居が好きなところ。
その人の人格が見えてくるというか、『町田慎吾じゃなくてあきらがそこにいる』気がするのだ。
もちろん舞台俳優として長く立っている方々には適わないかもしれないけれど。
そのための努力をきちんとしている彼のことが、やっぱり好きだと思った。

この物語の主人公は最初はあつしだと思っていた。
けれど、誰もが主人公だと終わった後に感じた。
あつしと園美の恋物語ではなく、あきらと園美の話でもある。
あきらと園美はとても似ている。
相手から嫌われることを恐れてお互いを傷つけて、自分自身も傷つけている。
あきらは自分に自信がないからチャラチャラと上辺を着飾って、相手を傷つけることで束縛をして自分を深く深く刻み込む。
忘れられないように、置いて行かれないように。
あきらはきっと恐れている。
自分と同じで狂っているのだと決めつけて園美を自分の腕の中に、檻の中に閉じ込めて離そうとしないのは、そうしておかないとまた一人になってしまうから。
あきらは昔何かあったのかもしれない。
一人になることが怖くて。離れていってほしくなくて。
だから、身体への暴力も言葉での暴力も、浮気を見せつけるのもみんな、彼女が本当はとてもとても好きだからなんじゃないか。
昔一人きりになった経験が嫌で、今度は離れて行ってほしくなくて。
だから彼なりの愛情表現なのだやっぱりあれは。
周りにはおかしいといわれようとも。彼の愛。
そうしないと不安で不安でたまらない。
自分が優位に立つことで繋ぎ止めていた大事な園美に同じ手でやり返された時に、また籠の中の小鳥が逃げていくのかと感情が溢れて精神が崩壊してしまう。
取り繕うことをやめて、誰がいようとかまわず園美に執着する。
そして、園美はあきらに初めて目に見える形で反抗をする。
力の籠っていない平手打ちにはっとするあきらの表情。
今まで言葉ではもう嫌だ、この関係を終わらせようと言い続けた園美だけど言葉でしか反抗はしなかったから、本当は嫌じゃないんだろうとあきらは勝手に思い込んでいたのだ。
その怯える怒る様子すらも好きだったから。
自分にしか見せない表情だったから。
けれど平手打ちしたのは知っている園美じゃなかった。
自分がいないとダメな園美じゃなかった。
弱弱しい平手打ちは、緩やかな拒絶であきらには強い衝撃だった。
熱湯を浴び寒空の下ふらふらと出て行ったあきらはその後どうなったのだろう。
どこかの公園でぼんやりとブランコに座って遠くを見つめているような情景が目に浮かぶ。
死ぬことも生きることもどうしていいかわからなくなっていそうな、虚ろな瞳で。

そして、残された園美とあつしは幸せになるのかと思いきや、そうではなかった。
泣きながら彼を平手打ちした手で、チケットをあつしに返す園美。
あつしとの普通の幸せよりも、あきらとの歪だけれど二人取っては最上の幸せを選んだ園美も、結局は他人に依存しないと生きられない人間。
自分を好いてくれる温かい人よりも、自分に冷たくてもつらく当たっても自分がいないと生きていけない人を追いかけていく。
必要とされている実感が欲しかったのかもしれない。
あきらと園美はその後もきっと共依存で生きていくのだろう。
どちらかが本当に壊れてしまうまで。
もうとっくに壊れているのかもしれないけれど。
悲しいけれどどこか切なくて愛おしい2人。
個人的に好きなのはあきらが浮気相手を連れてきて、園美が普通のデートがしたいといった時。
「何が見たいの?」だったかな、映画を見たりしたいという園美に聞いているその優しい声のトーンと、椅子の背もたれに腕を乗せて座り、蹲る園美を見ているところ。
何かとてもきゅんときた。
とてもとても普通の恋人同士のようで。
本当はとても好きなのだ、あきらは園美のことを、と思えるような優しいトーンだった。
(個人的にここの町田さんがとても好き。恋するわーと思った)
あきらと園美の2人は本当に切ないというか苦しかった。
そこに愛があるのにうまく表現できないあきらが悲しくて。
それを感じ取りどれだけ傷ついてもその傍にいたいと思ってしまう園美が切なくて。
2人の未来がカフェオレのように甘ければよいのにと思った。

もう一人のあっくんことあつしも、ただの純朴少年ではないような気がした。
みどりはずっと後輩のあつしが好きだった。
興味はないと言いながらも彼の好きな映画を調べてレンタルで借りてみて、チケットも買った。
園美になんて本当は譲りたくないけれど、それがあつしの幸せならと受け入れる。切ない恋だ。
2回目の観劇で、彼の恋話を聞いているうちにどんどん表情が硬くなり悲しそうな瞳をする彼女に気付いた。
けれど恋に溺れた男は気づかない。もどかしい。
次に入ってきた人が珈琲と紅茶どちらを頼むか?賭けをする二人は最初は別々のものを選ぶ。
けれど最後にみどりはあつしと同じほうを選ぶ。
それはどこか『従順』という彼女の選択を感じる。
また頑張ろうと彼が言った。
「…恋とか?」と恋に破れた筈の男は、ひとつの可能性を突然みどりに告げる。
恋に不慣れだった男が、暴力でつなぐという恋の形と、恋の駆け引きを覚えてしまったのだろうか。
みどりが自分のことを好きだということに気付いたあつしは『もうひとりのあっくん』になろうと思ったのかもしれない。
あの好きな人を縛り付ける愛が幸せになるためには必要なのだと、勘違いしたのかもしれない。
そのわずかに芽生えた狂気に、みどりは気づいていないかもしれないけれどまだ自分の恋には望みはあると彼に『従う』のだ。
もしかしたら彼女たちは、あきらと園美と同じ運命を選んだのかもしれないとふと思った。
ハッピーエンドではなくあれは新たな狂気の始まりなのかもしれない。
そう考えるととても怖い。
あきらと園美の狂気に満ちた複雑な愛の形はバッドエンドに見えてハッピーエンドで、あつしとみどりのこれから始まる恋の話は、ハッピーエンドに見えてバッドエンドなのかもしれない。

作中作である「紅茶党の彼女」は何度もタイトルが出てくるけれど具体的にどんな作品なのかはわからない。
わかっているのは古い映画で、バリスタとその店に通う女性の恋の物語であること。
そして印象的なのは「頑張ってるんだから見逃さないでよ」というセリフとカップをソーサーの上に伏せる仕草。
カチャン、と音がするとそこは異世界になる。
マスターの妄想の始まりの音。
タイトルから分かる通り彼女は『紅茶党』なのでつまり『珈琲が好きなわけではない』。
けれどバリスタのいるカフェに通っている。
通常、ソーサーにカップをひっくり返すのは『もうおかわりはいらない』という合図。
であれば、「おかわりはいらないけれど来るのはあなたが好きだから」という思いが込められているのだとわたしは思っている。
映画の中のジャスミンも、マスターの妻も、言葉にはしないけれどその行動で「わたしだってそのくらい好きなんだからね」という想いを表しているのだ。
ある意味とても身勝手なのだけれど、男にはわかるまい、の秘めたる思いなわけで。
だからみどりもジャスミン(啓太の母親の方)もそれに憧れる。
素直には言えないけれど気づいてほしい思いがあるから。
でも園美はその映画を見たかったと言いながら、あつしの誘いを断るのだ。彼女はその女心には興味がないのだ。
誰もいないと知ると、りさこに嫌味を言う園美の豹変ぷりには最初はびっくりしたけれどあれが本来の園美なのかもしれない。
あきらと同じで自分が優位に立つことで自分を確立する、弱いから自分を強く見せようとする。
自分が優れているのだと優越感に浸る。
園美は『言葉では伝えられないけど好きなの』などという、可愛い恋愛にはきっと興味はなかったのかもしれない、口で言うほど。
結局はクズで最低だけれど自分じゃないとダメなあきらが好きなのだ。
気づいて欲しいのではなく、気づかれなくてもそばにいたいのだ。

ジャスミンに誘拐される啓太が相手が誰なのかとおびえる様子や驚く様子があまりないので、元々顔を知っていたと考えられる。
そして言葉の端々やジャスミンのまなざしから、元母親だとはすぐわかる。
でも謎の女が啓太の今の母親だとは途中まで気づかなかったなー。
ここも強気に見せながら隠された言葉を飲み込んでうまく言えない元母親と、言葉で理解させようとする頑張りを認めてほしい今の母親の間にいる啓太の物語がある。
喫茶店を中心に話は回っているけれど、啓太たちの物語とあきらたち4人の物語とマスターの物語は絡んでいるようであまり絡んでいないのかもしれない。(関係性がない?)
この辺りはもう少し考えてみたいところ。
特に啓太はとても大人ぶっている子供で可愛かったので掘り下げて考えてみたい。

そういえばマスターも少しおかしい不思議な人間だ。幻想が見える。
昔は珈琲は薬のようなものであったから珈琲を飲み続けている彼は少しエスプレッソ中毒になっているのかもしれない。
妻からの「好き」という言葉がないと不安だったから幻想を生み出してしまった?
でも最後の幻想は本物?本当の言葉を受け取れた?それもまた幻想なのか?
と謎のままだ。

もう一つはっとした言葉を思い出した。
最初のほうであきらが園美の真似をするときに「一緒だよ、ほぼ」って言葉を零す。
初回は気づかなかったけど、その言葉にとても重みがある気がした。
さりげない一言なのにそれまでのトーンとは少し違う声音で。
そうか、一緒なんだ、園美とあきらは。
違うように見えて、同じ類の人なんだ。
そう思うとやっぱりあの喫茶店に集まる人はもしかしたらみんな同じ、なのかもしれない。
普通に見えて普通じゃない。
でもじゃあ普通ってなんだ?っていう、ハッピーエンドに見えて全然カラッとさわやかじゃない捻くれた恋物語は、カフェオレでもココアでもミルクティーでもなくて、エスプレッソなんだ。ほろ苦さの残る。

まだまだ色々考えたいこともあるけれどこの辺で。
去年の「眠れない羊」の時も思ったけれどほさかさんの話はこういう単純なハッピーエンドじゃない感じがとてもお上手だと思う。
ベタな恋物語やお涙ちょうだいの物語は誰にでも書けるけれど(それをいかに面白くするか、はもちろん才能があるからできることで誰にも出来ることではないけれど)こういう複雑な、見た人によっていろんな解釈が生まれる作品は素敵だ。

来年DVDが届いたらじっくり珈琲を飲みながら見たい。

好きな人の呼び方

自分の担当のことなんて呼ぶ人が多いんだろうなあと自分のTLを眺めながら思っていたのですが、意外と『さん』付って多い気がする。
それは自分より年上だからかなあと若いお嬢さんたちのつぶやきを見るんだけど、必ずしもそうでもないような。

わたしの場合は、町田さんは知った当初は『まーちん』って呼んでたんですが(笑)
気づいたら『町田さん』になってた。
タメなんだから『くん』だって良いのかもしれないけどそういえばずっと『さん』って呼んでいる。
いまはそれじゃないと落ちつかない(笑)
宮舘くんの場合は今は『涼太くん』が固定になっているけど、前はずっと『宮ちゃん』だったし、担当になる前は『舘さま』だった。
池田くんの場合は『池田くん』がずっと固定だけど、時々『池たん』と呼んでは自分で照れてみたりする(笑)あとちょっとだけ『優くん』ね。この人の名前がとても好きなので。

自担に統一感はなかった、ので推し、と勝手に言っているたくさんの好きな子たちのことを考えてみると。
あだ名とかちゃん付けが多くて、どちらかというと砕けた感じになるので、福ちゃん、大河ちゃん、のえたん(如恵留)、はぎちゃん、のんちゃん、みたいに割と気軽に呼べるんだけど、これが自担に近くなるとそうはいかないのが不思議。
どうやら好きになればなるほど遠慮しがちな呼び方になるらしい(笑)
となると、いまだに林くん、と他人行儀な呼び方しかできない彼もやっぱり自担になる可能性があったんだろうかなんてぼんやり考えている。
自分の中ではわりと特別なのかなあ『さん』とか『くん』って呼び方は。

皆さんの自担の呼び方って何か特徴があるのかなあ。
機会があったらアンケートとかとってみたいな。

町田慎吾という人を。

町田さんを応援してもうすぐ10年です。
あの人がジャニーズ事務所に在籍していたのは20年、わたしはそれの半分も応援できなかった。
もちろん、短い期間であろうがわたしなりに全力で応援してきたので後悔することは一つもないのだけれど。

この人のことはフレジュ時代から『知ってはいた』というレベルで、町田さんのファンの諸先輩方のようにKYKも行ったことがなければJr.コンも行ったことがない。
中学~高校時代。雑誌でも特にチェックすることはなかったけれど、アイオンだったり先輩のバックだったりで踊る彼を見たことはあるし、8Jも裸少も出ているのは知ってはいた。
けれどたくさんいるJr.の中の一人であって、MAという名前がついてからも、『あのあたりに名前付いたんだー』位の認識で、特に興味を持っていなかった。
振り返ってみれば色々なハマるチャンスはあったのかもしれないけれど2006年辺りまでは薄ぼんやりと認識をしていたJr.の中の一人、だった。
あ、でもヒッパレはずっと見ていたから踊れる子たち、の認識はその当時にはすでにあったように思う。

それが突然『町田慎吾』という名前を急に意識し始めたのはSHOCKだった。
元々KinKi Kidsが好きだったからお茶の間ではあったけれど情報を追ってはいて、SHOCKという舞台を光一さんがやっていることは知っていた。
それにMAやKAT-TUNやA.B.Cが出ていることも知っていた。
わたしがずっとジャニを好きなのは家族も知っていて、当時同居していた叔母もその影響で光一さんに興味を持っていて。
たまたま、生協でチケットをとった叔母がSHCOKを見に行ったのが2006年。
帰ってきてそれはそれは楽しそうに話してくれたSHOCKの話は、とても興味深くて。
2005年のSHOCKのDVDが発売されたこともあって購入して見たら、こんな世界があるんだ!と思った。
大学の時に演劇に興味を持ってキャラメルボックスの舞台に通っていた時代があって。
四季やミュージカル舞台も見たけれど、ジャニーズの舞台はそれまで見たことがなかったわたしにはとてもとても新鮮だった。
当然ながら光一さんが主役で光一さんを見る為に買ったDVDだったけれど、ふと気付くと、それ以上に目が離せない人がいた。
それが町田慎吾だった。

正直言って、演技が突出して上手い訳でもなく、ダンスが見栄えするほど美しい均整のとれた身体であるわけでもなく、歌が上手い訳でもない。
でも何故かとても目を引いて目が離せなくなって、これが町田慎吾という人なのか、と『その他大勢のJr.』から『名前と顔の分かるJr.』に変わった。
そこからは彼の出ている作品を調べて買ったり、KinKiのFCに入ってSHOCKの申し込みをしたり、と急にわたしは活動的になった。
それまではジャニーズはTVや雑誌の中の世界でしかなったのに、『生で、近くで。この人のことを見たい』という欲求が急に膨れ上がった。
今振り返っても何故DVDで突然に彼のことが気になったのかはわからないけれど。
あの世界の中で生きる『マチダ』はとても魅力的だったのだと思う。

2007年に初めて見に行ったSHOCKは2階の後ろの方で端っこの席だった。
町田さんを認識はしていたけれど、生で光一さんが見れるという興奮の方が大きかった開演前。
開演後にはすっかり町田慎吾の虜になっていた。
光一さんが『担当』だと思ったことはなかったので、担降りというわけじゃないのだけれど、いわゆるそれは担降りの瞬間だったように思う。
当然光一さんも、当時ライバル役だった生田くんも見た。
けれど、わたしの目にはずっと、楽しそうに悲しそうに全力で演じている町田慎吾が映っていた。
とても綺麗に踊る人なんだ、と思ったのは『夜の海』だった。
ストーリーとしてもクライマックスでありただでさえ泣けるシーンだったけれど、想像以上に泣いてしまったのは多分彼のダンスのせいだ。
綺麗で儚くて美しくて。
この人のことがとても好きだと感じた瞬間だった。

そこからはこの町田慎吾という人を応援しようと決めた。
本格的に雑誌を過去の物から買ったり写真を集めたりDVDも徐々に買い揃えた。
舞台の情報を仕入れたり、HPで過去のコンレポを読ませて頂いたり、KinKiのバックにはこの人は大抵つくのだと勉強してコンサートの申し込みをしたり……
日程的に難しかったものやチケットが取れなかったものもあったけれど、ほぼ、ここからの彼の活動は見てきたと思う。
その頃には仕事が現場から本部に変わっていて死ぬほど忙しい時期もあったけれど土日の休みを駆使して(そして社会人・実家暮らしの財力を駆使してw)遠征もし始めていたし、多ステする楽しさとかメモを取ってちゃんと記録と記憶に残す事とかを学んで。使うツールmixiからtwitterに変わったりもした。

そしてあっという間に2014年の冬になり『眠れない羊』の千穐楽にやってきたやらっちの姿と、最後に見た町田さんの言葉少なな感じとを少しの違和感として覚えながらも、また来年どこかの現場で、と年を終えた。
それがもう1年も前のことになるとは、本当に時の流れは速いと思うし、特に今年は激動の(わたしにとってもわたしの好きな人たちにとっても)だったのだと思う。
違和感は2月末の町田さんの日記で決定打となり、3月には名前がなくなりTwitterのアカウントができ……わたしは衝撃を受けた。
当然辞めていくJr.は多く見てきた。
デビューしたって辞める人は辞めるのだ、Jr.なんて余計に多いだろう。
それはわかっていた。
町田さんはいつからか、SHOCKやコンサートに出なくなり外部の舞台しか出なくなっていたから、実はわたしはその『いつか』はすぐに来ると思っていた。
もう『ジャニーズの町田慎吾』は見ることはないと思って覚悟はしていた。
ただ、あんなに演技が好きだと言っていた彼が事務所は辞めてもその世界を辞めることはないとそう信じていたのだ。
でも彼はそうじゃなかった。
違和感のあったあの日には「もうこれが最後だ」と決めていたのだ。
彼が昨日――12月6日に更新してくれたつぶやきにはそう、書かれていた。
あの時に感じていたのはそれだったのか、とモヤモヤが晴れたと同時にそんな気持ちであの舞台に立っていたのかと思うと急に切なくなり、そして何故か悔しくもあった。
彼が何を思って辞める決断をしたのかはわからないけれど、もっと応援していたら未来は変わっていたのだろうかと思ったのかもしれない。
自分一人に何かできることなど何もないと思いながらも、そんな風に思った。

昨日の彼のつぶやきは、何故だか急に彼のことを深く考えさせられた。
この10年、どんなふうに私は彼を応援してこれたんだろうと振り返ってこのブログを書き始めてみた。
彼のファンの一人として、少しは支えになれていたんだろうかと、答えも出ない事を考えたりした。
何故彼が辞めなければならなかったか、とか。
でもよく分からなかった。
それでも、色々な紆余曲折があり彼はまた舞台に立つことを決めてくれた。
その決意はきっととても勇気のいることで、覚悟がいるものだったと思う。
一度辞めたステージにまた戻ってくることで、色々な声が聞こえてくるかもしれない。
それでも、彼はあの世界に立つことを望んだし、今までと同じ…いやそれ以上にファンへの言葉を向けてくれるようになった。
彼が決めたことならば寂しいけれど仕方ない事だと思っていた、でも本当は辞めてなんて欲しくなかった。
だから、その言葉はとても嬉しくて、「AZUMI」でまた『俳優町田慎吾』を見た時にとてもとても感慨深かった。
またこの人の背中を応援できることが嬉しかった。
彼がいつどんな決断をしてこの2014年の冬から2015年を過ごしてきたのか、それは彼しかわからないこと。
でも私が10年近く見てきた町田慎吾は、とても実直で真面目でふわふわしてて憑依系の芝居やダンスをする人で、とても、暖かな人だ。
きっとそれはどんな場所にいても変わらないから、わたしは今までと何も変わらず応援すればいい。
今の彼が進む道がどうか少しでも進みやすい道であれば良いと、幸せな発見がある道であればいいと願うだけだ。

気付けば、わたしにとって、今は『町田慎吾』という人は、もう担当とかそういう言葉では言い表せない人になっていた。
だからわたしのいわゆるジャニーズでいう『担当』はもう彼ではない。
だからと言って彼への愛情というか熱意や恋心などがすべて消えてしまったわけではない。
そういうことよりもこの人はわたしのライバルであり、同期であり、憧れの人であり、家族みたいな人になってしまった。
多分これからもずっと、出来る限り応援をし続けると思う。
長く長く応援してきた人にとってはわたしが応援した時間など短い時間だったかもしれないけれど彼のジャニーズ人生の一部を知って、そして今は新たな道を歩む人生を知っていけることが、とても幸せだ。

『行けません』という言葉

TLでまた少しざわりとしていたのでふと自分を振り返って考えてみた。

好きなアーティストや芸能人の方の出演されるイベントやコンサートや舞台に行きたくても行けないことはたくさんある。
それは時間の問題だったり、仕事だったり、金銭面だったり、距離だったり……いろいろな事情はある。
でもそれはあくまでも『こちら側』の都合であり、『行かない』という選択をした自分に責がある。
だからそれを相手に告げるのは勝手な押し付けでしかない。

と、今は思っている。


昔は『その日はいけないのですが頑張ってください』と手紙に書いたり本人にもいってしまったことがある。
その裏には、“本当はとっても行きたいんですがどうしても行けないので、でも行った人と同じくらい貴方のこと応援してます”という気持ちがこもっていた。
正直、舞台やイベント、コンサートが決まる度に、全ステしたり、休みの融通の利く仕事をしてその期間は休みを取る人たちが羨ましかったのもある。
わたしだって行けるものなら行きたいけどどうしようもない、それでも自分だって同じくらい貴方のこと好きなのはわかってほしい、というとてもとても我儘で醜いエゴみたいなものを押し付けていたのだ。
本当今思うととてもとても恥ずかしい。

別にその人たちだって何かを犠牲にしていないわけではなくて。
何かと引き換えに『行くこと』を選んだのだから、疎まれる理由は何もないのだけれど、そういう選択を出来ることが羨ましかったのかもしれない。
それに多ステしようが毎日会いに来ようが、別に特別扱いされることはないのも分かってはいたのに、何となく張り合いたくなってしまったのだと思う。
(まあそりゃあ贔屓筋や顔見知りが出来たら特別扱いする人は、中にはいるかもしれないけれど)

まあ若かった。
(っていうほど若くない時の出来事ですけど)
相手、というかその好きなアーティストや芸能人の立場になって考えてなかった。
その人やその人に関わる人たちすべてがどれだけの労力を使って、良いものにしよう、素敵なものにしよう、楽しんで貰おう、って考えたものに対して、どんな理由があるにしろ『行けません』って言うのは『お前の作ったものよりも大事なもんがあるから行かんわ!』って言ってるようなものなわけで。
そう考えるととてもとても失礼だし、そんなん言わないでしまっておけよ!って向こうは思うよなあと、ふと我に返った時に思ったわけです。

だからそれからは『次の舞台も頑張ってください』とか『楽しみにしてます!』と、『行けません』という言葉は飲み込んできた。
……んだけど、まあ行きたくないわけじゃないからそりゃあ色々思うことはあって。
本人には言わないけどその日程じゃいけないんだよボケ!とか何でそこでやんの!とか、色々愚痴は言いたい(笑)
でもそれを本人に言うのは違うよね、っというのが今回の諸々だと思うんだけど。

皆が何かを我慢したり無理をしたりして劇場やコンサート会場に足を運んでいるのを、彼ら・彼女らは気づいていないわけではないと思うのですよね。
だから準備をしっかりして楽しませたいと思ってくれるわけで。
なので皆その彼らの思いを大事にしましょうねってことかなと思います。



基本的に行きたくても行けない事案はたくさん起きているので、今更後悔はしていないけど。
最近後悔というか、気落ちしたのは、滝沢歌舞伎のシンガポール公演かな…。
今は距離的な問題と仕事である程度の役割を与えられている以上、自分の趣味ごとと今の生活とを天秤にかけて決断を下さなくてはいけなくて。
自分のこれからの人生にどう影響するか、を考えて今年の滝沢歌舞伎のシンガポール公演は行かなかったんですが。
まさかそれが自担の最後の仕事になるとは思ってなかった……ので。
物凄く後悔したけれど、でも元々行かない選択をしたのは自分自身で。
わたしにとってはその時は、池田くんより仕事の重要性(責任)を考えた選択だったのだから間違ってはいないんだけど、やっぱり行きたかったよ――――!
と、いまだに思います。
最後の池田くんの演技・ダンス・笑顔をこの目に焼き付けておきたかった…とは思っています。
……いつかDVDで出してくれるかなあ。

関西Jr.で始めて名前を覚えた人

最近クリパのレポを見たり、名前を憶えて行ったりする中で。
関西Jr.を好きになるって事が今までなかったなーって(見る機会がやっぱりなかったのが一番の要因だと思うけど)思っていたのですが、ありました好きになった事!!
町田さんと同世代の女寺豊くんって子が何か気になってた時代がありました!!!
懐かしい……知ってる人いるのか……知ってたら同世代ですね(笑)
多分雑誌でしか見たことないし、何かアクションを起こしたわけじゃなかなったんだけど、ちょっと好きだなあって思っていた時がありました。
お顔と雰囲気が好きだったのよね……
あとは三馬鹿が雑誌に初めて載ったあたりからヨコが気になってたなー金髪色白美少年!ってわたしの中では話題になっていたのでw
その後町田さんとかに落ちて行ったので、先に関西の方が気になってたんだよね。
そのまま行ってたら松竹通ってたかもしれないよね今頃…。
不思議なものです。

実はいまだにエイトではヨコ推しです。
かつて誕生日に行われた富山でのソロコンも日帰りで行きましたよ。昼公演だけ見て帰ったんだよね。
同じヨコ担当の人と始まるまでミスドで喋り倒してたなー元気かなー……
ちょいちょいエイトも行ってますが最近はお休み中。
一昨年かなー最後に行ったの。めっずらしく良い席で、ヨコにファンサ貰ってビックリしたなー。
騒いでたらペンラの電池部分の蓋を無くして友達にめっちゃ笑われました(そしてそれはブーツの中から出てきたw)
それも良い思い出です(笑)

カウコンのリクエスト

カウコンで好きな組での楽曲リクエストが出来るという話が出ていますが。
もう一度見たい組み合わせ、というのと好きなシンメ・コンビはちょっと違うものなんだなあ、と昨日色々な意見を見ながら思いました。
個人的に、TLで回ってきていた「やまとまの欲望のレイン」は確かに死ぬほど見たい。
山下くんのコンサートでの斗真くんとの「欲望のレイン」は当時WSでちょっとだけ映ったけどものすごく高まった。
でも別に私は山下くんのファンでも斗真くんのファンではない。
それでもあのコンビには高まる。
不思議なものです。
でも欲を言えば4TOPS見たいよ!って気持ちもありますが…それは…無理かな……どうだろう。

昔って剛健だったり、やまとまだったり、じんかめだったりっていう圧倒的なシンメというかコンビというか。
そういう2人組って各時代にいたような気がするのだけど。
今ってそういう誰もが納得してその2人の何かを見たい!みたいな感情にさせてくれるシンメとかコンビってあまり見かけないなあと思うのですが。
わたしの界隈だけなのかしら?
実際どうなのかな??
勿論、わたしの中でのJr.の中のベストオブシンメ!とか、デビュー組のシンメ・コンビはこれだ!とかいう人たちは、いたりするのだけれど。
それはまあおいておいて、そういう圧倒的な存在感のあるJr.といえば今は誰なんだろう?
少なくともタッキーのようなポジションにいる子はいないなあと思ってしまうのです。
MCが出来る人、踊れる人、笑いを取れる人……いっぱいいるけれど、誰がJr.のキング(顔)か、っていうと難しいよね。
それがいないとダメだという訳でもないのだけど。
いたら今のJr.くんたちのメイン界隈はガラッと変わっていたのかなあ?
考えても答えは出ないですけどね。


ちなみに、わたしのベストコンビ、は池田くん&幸大くんです。
単に好きなだけと言われればそれまでですが、彼らのベタベタはしないけれど根底では信頼してお互い任せあっているところがとてもとても好きです。
去年のデジタリアンで幸大くんが池田くんを姫抱っこをしたり、動画でおんぶしていたり、と少し方向性の違った(笑)ファンサービスを2人で考えてやってくれるところも好きです。
(別にそれ求めてないんだけど、2人がこうしたらもっといいのかな?とか考えて相談していたらと考えるとそれだけで幸せになれるので結局何でもいいっていうw)
プライベートではほぼ会わないし性格も合わないというビジネスライクなシンメであったかもしれないけれど、たった二人になった"MAD"を二人きりで守っていた彼らがとても好きです。

次点としては池田くん&林くんだったり、池田くん&大河くんだったり。(結局自担が絡むw)
仕事とは違うバカやってる素が見えてくるような二人を見ると、良い仲間がいてよかったね、っていう気持ちになります。
あと、萩谷&安井コンビも好きかな。小さいお兄ちゃんと、大きくなった弟という感じがしてとても微笑ましくて。
すののあべさくとか、あべだても好きなコンビだなあ。
いわだてコンビは好きなんだけど、何かとても岩本照に嫉妬するので何となく悔しい気持ちが先行します(笑)
コンビというよりシンメとして好きなのは、MADEの冨岡・秋山シンメなのかなあ。
考え方や立ち位置、呼吸の合い方など含めてとても良いシンメだなあと思います。
昔の(デビュー前)の河五シンメがとても好きだったのでそれに近いような気持ちかな。
お互い違う環境で育ったのに、偶然出逢って、苦楽を共にしながら阿吽の呼吸で出来る二人っていうのは、とても素敵だなあと思います。


とりあえずカウコンの投票考えなきゃ。